国内外のトップアスリートが集う、歴史ある大会。
北海道が生んだオリンピック金メダリストの功績を称え創設された大会
1932年(昭和7年)に開かれた第10回ロサンゼルスオリンピック大会の三段跳で、世界記録を樹立し優勝した北海道が誇る金メダリスト、南部忠平氏の功績を称え創設された「南部忠平記念陸上競技大会」(以下南部陸上)は、今年で35回目を迎える歴史ある大会です。
オリンピックや世界陸上競技選手権の代表選手選考を兼ねたハイレベルの大会
南部陸上はこれまで、オリンピックや世界陸上競技選手権の代表選手選考の場として国内外のトップアスリートが集い、幾多の名勝負を繰り広げてきました。かつてはこの大会で世界記録や日本記録も誕生、陸上ファンのみならず、大勢の市民から注目を浴びている大会です。これまで日本のトップ選手として活躍してきた北海道出身の福島千里選手や高平慎士選手も、ジュニア時代からこの大会に出場し、世界へと羽ばたいて行きました。
南部忠平記念陸上競技大会で誕生した数々の記録
日本記録
回数 | 種目 | 氏名 | 所属 | 記録 |
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2 | 100mH | 秋元千鶴子 | 山形女子短大教員 | 13秒63 |
城島 直美 | 中京大学 | 13秒63 | ||
三段跳 | 土屋 由美子 | 大昭和製紙 | 12m77 | |
4 | 100m | 野村 綾子 | 光アクティス | 11秒71 |
100mH | 佐々木あゆみ | 大京 | 13秒51 | |
6 | 三段跳 | 橋岡 直美 | あさひ銀行 | 13m23 |
10 | 100m | 吉田 香織 | ミキハウス | 11秒4 |
雉子波秀子 | 福島大TC | 11秒4 | ||
11 | 棒高跳 | 小野 真澄 | CFA | 3m92 |
13 | 100m | 坂上 香織 | ミキハウス | 11秒42 |
100mH | 金澤イボンヌ | 佐田建設TC | 13秒00 | |
ハンマ-投 | 室伏 広治 | ミズノ | 80m47 | |
80m56 | ||||
15 | 砲丸投 | 森 千夏 | 国士舘大学 | 16m87 |
16 | 4×100mR | 石田 智子 | 日本選抜A | 44秒10 |
鈴木 亜弓 | ||||
坂上 香織 | ||||
新井 初佳 |
世界記録
回数 | 種目 | 氏名 | 所属 | 記録 |
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3 | 女子 三段跳 | 李 恵榮 | 中国 | 14m54 |
5 | 女子 棒高跳 | エマ・ジョ-ジ | オーストラリア | 4m45 |
故南部忠平氏 年譜
明治 | 37・05 | 札幌市中央区南2条西1丁目6番地において生まれる。 |
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大正 | 06・03 | 札幌中央創成尋常高等小学校を卒業。 |
12・12 | 全国中学陸上選手権大会(東京駒場)に初出場、100m、200m、三段跳、走幅跳の四種目に優勝。 | |
13・03 | 北海中学(現北海高校)を卒業。 | |
13・04 | パリ・オリンピック国内予選の三段跳で13m40の記録を出し当時の第一人者織田幹雄を破る。 | |
14・11 | 第2回明治神宮大会に北海道青年団代表首相として出場、100m、走幅跳に優勝(800mリレーのアンカーでトップになり北海道が逆転の団体優勝) | |
15・04 | 早稲田大学専門部に入学、競技部に入部。 | |
昭和 | 03・07 | 第9回オリンピック・アムステルダム大会に初出場、三段跳で3位に入る。 |
04・04 | 早稲田大学商業科を卒業し、南満州鉄道株式会社に入社 | |
05・05 | 第8回極東大会(東京)に出場、100m3位、走幅跳で優勝 | |
06・10 | 神宮競技場で行われた一般対学生陸上競技大会走幅跳で7m98の世界新記録をつくる(現在でも日本歴代15位の成績) | |
07・06 | 毎日新聞大阪本社運動部勤務 | |
07・08 | 第10回オリンピック・ロサンゼルス大会に出場、三段跳で世界・オリンピック新記録15m72で優勝、走幅跳3位で、金と銅メダルを獲得、また400mリレーでも5位入賞 | |
14・06 | ブラジルにコーチとして招かれ、日本とブラジルの親善に尽くす | |
34・04 | 日本体育協会会賓となる、毎日新聞大阪本社退職 | |
35・11 | 大阪市民文化賞を受賞 | |
36・04 | 東京オリンピック強化副本部長に就任 | |
36・11 | 陸上競技の発展と体育の進行に貢献した功績により紫綬褒章を受賞 | |
39・10 | 東京オリンピック大会日本代表陸上競技監督に就任 | |
40・04 | 日本陸上競技連盟審議員に就任 体力づくり専門指導員として北海道嘱託となる | |
41・04 | 北海道女子短期大学教授に就任 | |
42・04 | 京都産業大学教授に就任 | |
44・09 | 北海道のスポーツ振興と青少年健全育成に尽くした功績により北海道開発功労賞を受賞 | |
57・04 | 鳥取女子短期大学学長に就任 | |
58・06 | オリンピックオーダー賞受賞(過去の功績並びに功労による) | |
59・04 | 北海道女子短期大学名誉教授となる | |
平成 | 03・05 | 関西北海道倶楽部名誉会長、社団法人大阪スポーツマンクラブ会長に就任 |
04・03 | 鳥取女子短期大学学長退任 | |
05・05 | 勲三等瑞宝章を授章 | |
09・04 | 北海道体力づくり専門相談員となる | |
09・07 | 93歳で死去 | |
09・09 | 正五位に叙せられる | |
30・12 | 世界陸連 ヘリテージプラーク 受賞 |
出典:「北海道開発功労賞・受賞に輝く人々」、南部忠平著「私のスポーツ人生」から一部省略して掲載